チェスワフ・ミウォシュ年記念 

14回ポーランド語スピーチコンテスト

 


日時:2011122日(土)午前10:00 より午後2:00まで

会場:駐日ポーランド共和国大使館(東京都目黒区三田2-13-5

 

ポーランド語スピーチコンテスト:

*添付されている(HP参照)チェスワフ・ミウォシュの課題詩三作より一作品を暗唱

3分程度のスピーチ(テーマは自由)

*審査員との質疑応答

 

以上からポーランド語の能力およびスピーチの内容を総合的に評価します。

 

参加資格:

1.ポーランド語を母語としないこと。

2.ポーランド滞在期間が合計1年に満たないこと。

* 参加希望者は、添付の参加申込用紙に必要事項を記入の上、大使館の下記申込先までFax、郵送、e-mailのいずれかにてお申し込み下さい。

 

賞品: 最優秀賞 3名 賞状&ポーランド共和国学術・高等教育省よりポーランドの大学におけるポーランド語夏期講習への無料参加権。

その他、参加者全員に参加賞として、賞状及び書籍等が贈られます。

 

* 夏期講習が開催される大学および具体的な日程(8月を予定)は現在調整中です。

* 夏期講習は授業、宿泊、食事および観光プログラムを含みます。

* 往復航空券および海外旅行保険は含まれないため各自で手配していただきます。

 

参 加 申 込 み 締 切 日:2011118日(火)必着 

お申し込み先: 〒153-0062 東京都目黒区三田2-13-5 

ポーランド共和国大使館 ヤロスワフ・ヴァチンスキ 文化アドバイザー 宛

Tel.03-5794-7020   Fax 03-5794-7024

e-mail: jaroslaw.waczynski@msz.gov.pl

 

*コンテストに出場される方、並びに観覧される方は、当日ご来館される際に、写真付きの身分証明書(運転免許証、学生証など)をお持ち下さい。

 

参加申込用紙

チェスワフ・ミウォシュ課題詩

 

スピーチコンテスト課題ミウォシュの詩の試訳

Wiersze Czesława Miłosza na konkurs

 

NADZIEJA

 

Nadzieja bywa, jeżeli ktoś wierzy,

Że ziemia nie jest snem, lecz żywym ciałem,

I że wzrok, dotyk ani słuch nie kłamie.

A wszystkie rzeczy, które tutaj znałem,

Są niby ogród, kiedy stoisz w bramie.

 

Wejść tam nie można. Ale jest na pewno.

Gdybyśmy lepiej i mądrzej patrzyli,

Jeszcze kwiat nowy i gwiazdę niejedną

W ogrodzie świata byśmy zobaczyli.

 

Niektórzy mówią, że nas oko łudzi

I że nic nie ma, tylko się wydaje,

Ale ci właśnie nie mają nadziei.

Myślą, że kiedy człowiek się odwróci,

Cały świat za nim zaraz być przestaje,

Jakby porwały go ręce złodziei.

 

                         - Z tomu Ocalenie (wyd. 1945)

希望

 

地球は夢ではなく、生きた身体なのだと、

視覚も触覚も聴覚も、嘘はつかないのだと――

もし信ずることができれば――希望はあり得る。

ここで僕が見知ったすべてのことが

一つの庭のようだ。人はその入口に佇むだけ。

 

中に入ることはできない。でもそれは確かに在る。

もしも僕たちがもっとよく、もっと賢く見ることができたなら、

まだまだ新しい花を、一つならぬ星を、

世界の庭に見つけられるかもしれない。

 

僕たちの眼は僕たちをあざむくのだと、

何も存在せず、ただ存在するように見えるだけだと、

そう言う彼らは希望を持たない人たちなのだ。

人間が顔をそむければ、背後の全世界は即座に、

まるで泥棒の手に拉致されでもするかのように、

存在しなくなると、彼らは考えるのだ。

 

詩集『救出』(1945年刊)より

KTÓRY SKRZYWDZIŁEŚ

 

Który skrzywdziłeś człowieka prostego

Śmiechem nad krzywdą jego wybuchając,

Gromadę błaznów koło siebie mając

Na pomieszanie dobrego i złego,

 

Choćby przed tobą wszyscy się skłonili

Cnotę i mądrość tobie przypisując,

Złote medale na twoją cześć kując,

Radzi że jeszcze jeden dzień przeżyli,

 

Nie bądź bezpieczny. Poeta pamięta.

Możesz go zabić – narodzi się nowy.

Spisane będą czyny i rozmowy.

 

Lepszy dla ciebie byłby świt zimowy

I sznur i gałąź pod ciężarem zgięta.

 

                                    1950, Washington, D.C.

 

    - Z tomu Światło dzienne (wyd. 1953)

民をいたぶりし者よ

 

善と悪とをこきまぜんがために

身辺に一団の道化師を抱え、

罪なき民をいたぶって、

その痛みを見て大笑いした御身よ、

 

その有徳と賢明とを讃え

御身がため金のメダルを鋳抜きつつ、

今日も一日生き延びられたと喜びながら、

全ての者が御身の面前に跪いたとはいえ、

 

安心せぬことだ。詩人は覚えている。

詩人は殺せても――また新たに誕生してくるだろう。

行為も談話も書き留められつづけるだろう。

 

御身にとってよりふさわしいのは、冬の黎明、

そして一本の縄と重みにたわむ一本の枝。

 

1950、ワシントンDC

詩集『日の目』(1953年刊)より

ALE KSIĄŻKI

 

Ale książki będą na półkach, prawdziwe istoty,

Które zjawiły się raz, świeże, jeszcze wilgotne,

Niby lśniące kasztany pod drzewem w jesieni,

I dotykane, pieszczone, trwać zaczęły

Mimo łun na horyzoncie, zamków wylatujących w powietrze,

Plemion w pochodzie, planet w ruchu.

Jesteśmy — mówiły, nawet kiedy wydzierano z nich karty

Albo litery zlizywał buzujący płomień.

O ileż trwalsze od nas, których ułomne ciepło

Stygnie razem z pamięcią, rozprasza się, ginie.

Wyobrażam sobie ziemię kiedy mnie nie będzie

I nic, żadnego ubytku, dalej dziwowisko,

Suknie kobiet, mokry jaśmin, pieśń w dolinie.

Ale książki będą na półkach, dobrze urodzone,

Z ludzi, choć też z jasności, wysokości.

                                                                                  1986     

 

- Z tomu Kroniki (wyd. 1987)

しかし書物は

 

しかし書物は書棚にいるだろう。

秋の木の下のつややかな落ち栗のように、

しっとりと新鮮な、本当の生き物として、嘗て現れた、

そして触れられ、可愛がられた書物たちは、

幾度地平線が赤く染まっても、城や館が宙に舞っても、

さまざまな民族の行進、惑星たちの運動にもかかわらず、

己の生を生き始めたのだった。

ページを引きちぎられながらも、猛り狂う炎に

舐められながらも、「私たちは生きている」――彼らはそう言った。

記憶とともに冷め、散り散りになり、消えてゆく

私たちの不完全な温もりよりも、彼らの方が一体どれほど長持ちすることか。

自分がいなくなった後の、しかし何一つ欠落することのない大地を、私は想像してみる。相も変わらぬ見世物芝居、

女たちのドレス、濡れたジャスミン、谷間の歌。

しかし書物は書棚にいるだろう。

人々から、そしてまた光と気高さから、

卑しからぬ生を受けた書物たちは。

 

                         1986

詩集『日録』(1987年刊)より

 

チェスワフ・ミウォシュ著『ポーランド文学史』から――

 

そして発起人のなかで最年少であった残るひとりは、きまり悪いが、チェスワフ・ミウォシュ(一九一一~ )、本文学史の著者自身である。彼は、もともとリトアニア中央部で土木技師の子に生まれ、父親の職業柄、さすらい生活を余儀なくされ、シベリアやヴォルガ河近辺を転々としたのち、ヴィルノ大学法学部を卒業した。社会的指向の強い、論理をこねくりまわしたような最初の小詩集『凝固した時の詩』(一九三三)は難があったが、つづく『三つの冬』(一九三六)については、文学史家であり、評論家であるカジミェシュ・ヴィカから、「カタストロフイズム」を代表する詩集という評価が寄せられた。古典的な響きをもった詩行のなかに、一連の象徴表現が唐突に流れこみ、宇宙をのみこむ災厄の大きさを暗示する。批評家のなかには、ここにミウォシュの詩の核をなす、地球神話――再生をくり返す守護神としての地球――見ようとするものもあり、またポーランド詩のなかでただひとりの汎神論者だと、彼を呼ぶ批評家もいる。もっとも、彼にはキリスト教的な面もまた濃厚に感じられ、この点の真偽のほどは、定かではない。ただ、彼の詩に、すみずみに至るまで故郷リトアニアの風景がしみわたっているという点に関しては、異論の余地がない。戦争中、ミウォシュはワルシャワで非合法のナチス抵抗詩選の編集に関与し、彼自身の作品は、『救出』(一九四五)にまとめられ、この詩集は戦後ポーランドで刊行された、もっとも早い出版物のひとつで、歴史上の悲劇に対するアプローチの方法を示して、ヴァジクやヤストルンやプシボシらの詩集とともに、戦後二十年くらいまでのポーランド詩の発展に刻印を残した。

 

KTÓRY SKRZYWDZIŁEŚは、197012月、グダンスク造船所での「十二月事件」で殺された、三人の犠牲者を追悼して、「連帯」広場に建てられた「造船所労働者犠牲記念碑Pomnik Poległych Stoczniowców (1970)」にその一部が刻まれている。除幕式は19801216日だったが、これはこの秋ミウォシュがノーベル賞を受賞した直後のこと。次の写真参照。

 

gal_13d

MiloszPoemShipyardGdansk

 

 

観覧のみを希望される方へのお願い

14回ポーランド語スピーチコンテストの観覧のみを希望される方は、上記のお申し込み先まで、氏名、住所、電話番号を明記の上、Fax 、郵送、e-mailのいずれかにて2011115日必着で観覧希望の旨をお知らせください。

 

 

2010.11.20