[書評] ヤン・コット(坂倉千鶴訳)『カディッシュ ―タデウシュ・カントルに捧ぐ―』(未知谷、2000年)

カントルもすでにいない… 舞台に接したときコットに起こった精神の動きの記述

演劇評論家 鴻英良









著者: ヤン・コット
訳者: 坂倉千鶴
書名: 『カディッシュ ―タデウシュ・カントルに捧ぐ―』
出版社: 未知谷
出版年: 2000年
価格: 1200円
ISBN: 4-89642-025-X


目次:

彼は訛りのあるフランス語で話す男だった…… 11
本質 13
ミツキェヴィチのもとで 27
どの駅で? 35
記憶、だがいかなる? 49
タデウシュ・カントル 1915〜1990 61
Post mortem(死後) 65
個別の記憶 79
あとがき 83
掲載写真 91
著者ヤン・コットについて 93
訳者あとがき 99




ヤン・コット(坂倉千鶴訳)『カディッシュ ―タデウシュ・カントルに捧ぐ―』(未知谷、2000年)

カントルもすでにいない… 舞台に接したときコットに起こった精神の動きの記述


演劇評論家 鴻英良


 私は一度だけヤン・コットに会ったことがある。1988年、ラ・ママ実験演劇クラブでタデウシュ・カントルの(『私は二度とここには戻らない』)を見た日の翌日、『季刊思潮』に載せたインタヴューのためにカントルに会いに行ったときのことである。マンハッタンにもユダヤ教の会堂シナゴーグがあって、その中庭に入っていくと、カントルの前に一人の紳士が座っていた。彼らはゆっくりとくつろぎながら親しげに話し合っていた。それがヤン・コットだった。彼も前夜の芝居を見るため、ロサンゼルスのサンタ・モニカからやってきていたのであった。

 私がこんなことを思い出したのは、本書、カントルに捧げられたヤン・コットの著作『カディッシュ』が次のように書き出されていたからだ。

 「彼は訛りのあるフランス語で話す男であった。私にはヘブライ語とイーディッシュ語で話しかけてきた。『ユダヤ人だね?』ともう一度念を押すと、私を連れて幾つか通りを過ぎ、こぢんまりとした私設の会堂まで導くのだった。」

 コットがこのような思い出から『カディッシュ』を書きはじめているのは、カントルの演劇がユダヤの会堂で行われつづけているカディッシュ、つまり、<喪の行為>と深い繋がりがあるということをこれから語ろうとしているからである。

 「自分の亡き父親のためにおまえはカディッシュを唱えてやったかと、他人が問いかけてくれる町は、ここでなくて一体どこにあるだろうか?」

 このように問いかけたあとで、ヤン・コットは、カントルの個々の作品に触れたときの思いを、ときには、そこから連想されるポーランドの歴史の断片を想起しながら書き綴っていく。つまり、そこにあるのは、単なる舞台評ではなく、舞台に接したときコットに起こった精神の動きの記述でもあるのだ。しかし、その記述はカントルの演劇の本質を明瞭に描き出しているのである。

 コットはその本質を記憶と名づけ、さらに、その記憶は歴史を想起するのだと考えている。一般に、カントルの演劇は『死の演劇』と呼ばれている。実際、カントルの名を不動のものにした舞台は『死の教室』(1975年)と名づけられ、そして、その上演と同時に「死の演劇宣言」が発表された。本人も死について語りつづけていた。しかし、それは「記憶の演劇」でもあるのだ。『ヴィエロポーレ・ヴィエロポーレ』(1980年)をカントル自身「記憶の演劇」と名づけていた。

 しかし、コットが注目したのは、この二つの深い繋がりである。「記憶の演劇は死の演劇であった。」これが本書の結びの言葉である(事実上の)。記憶は死者たちを呼び起こすのだが、そのように使者たちを呼び起こすこと、それは、われわれが過去を想起しようとすることであり、その作業のなかに歴史が立ち現れてくるのである。ところで、それはどのような歴史だろうか。それは「家族の歴史であり、ポーランドのそしてポーランド一国に留まらない歴史であり、個人的な歴史と共通の歴史なのだ。」ということは、カントルが想起していたのは、二十世紀の歴史であったということだ。

 とはいえ、そこに呼び起こされてくるものにはある種の影が付きまとっている。「この演劇には、ほんの時たま、何やら執拗な記憶のなかで頑固に呼び覚まされて還りくる、永久に消し去られた世界の影(私にはうまく名づけることができない)がある。」そして、その影は、その劇を演じているものはいうに及ばず、見るものをも激しい苦悩で襲うであろう。それは悪夢だからだ。「悪夢の本質は還ってくることにある」。そして、「創造者の中でももっとも偉大な人々は自らの悪夢の囚われ人なのだ」。

 コットはこうした演劇を<本質の演劇>と名づけた。そして「本質とは痕跡である」と書き、さらに「墓とは歴史の痕跡である。二十世紀にあってそれは、集団墓地なのだ」と書いた。ミネアポリスに住むポーランド人ミハイル・コビャルカは『私は二度と戻らない』(1988年)を二十世紀最大の集団墓地アウシュヴィッツと結びつけて論じていたが、コットはこのような論点を静かに、詩的な装いのもとに、ややパセティックに記述している。それが本書を美しいものにしている。

 ところで、これらの歴史の断片は脈絡もなく舞台に溢れてくる。それは過去という死んだ世界からやってくるのだが、その死者たちはカントルの記憶とともにわれわれの前に出現するのだ。つまり、それらの過去は作り出されたものではなく、想起された事実だということだ。あるいは、舞台に持ち込まれるオブジェは作り物ではなく、現実のオブジェなのだ。過去の痕跡は、舞台上にいる演出家によって、寄せ集められ、積み重ねられ、溶け合う。そのような事態は、それら痕跡から、<いま・ここ>、観客の目の前において、歴史が構築されていくということを意味しているのではないか。たとえば、ベンヤミンは『ドイツ悲劇の根源』において、「本質をなす存在に関係づけられた意味での歴史」について語ったが、そのような精神が現実化している演劇のモデルとして、ベンヤミンは廃墟を論じた。そして、そのことを現実化するのもまた記憶なのだ。二十世紀の偉大な演出家たちは、舞台において、このような形で歴史を現実化しようとしていたのではないか。だから、「舞台上に存在するカントルとは、場所と人間との消滅した後に残る記憶なのである。」しかし、その彼もすでにない。そのことの意味をヤン・コットのこの著書は痛切にわれわれに考えさせるのだ。

*この書評は、『図書新聞』2001年4月28日号に掲載されたものです。図書新聞社と著者の了解をいただき、ここに転載いたしました。