小説 ショパン ワルシャワ幻想曲









著者: 藤嶋美路
書名: 『小説 ショパン―ワルシャワ幻想曲』
出版社: ショパン
出版年: 2001年
価格: 1500円
ISBN: 4-88364-141-4




目次:

人物紹介
1. 小さな音楽家
2. やんちゃな少年
3. 最初のポロネーズ
4. ワルシャワの神童
5. デビュー演奏会
6. 父と息子
7. 移り行く時
8. ユーゼフ・エルスナー
9. リツエウムでの日々
10. 予期せぬ依頼
11. ロシアの暗影
12. 未来への道
13. エミリア
14. 師と門弟
15. 幻の天使
16. 開かれた道
17. 喝采の町
18. 夜想曲
19. 揺れる思い
20. 祖国の風
あとがき




「14. 師と門弟」より

(・・・)
 ある放課後、葉巻をくゆらせながら学生達の提出課題に目を通していた作曲科の若い助手は、ショパンの作品を見るなり険しく眉をひそめた。音符を目で追い、頭の中で音楽をイメージしているうちに、彼は次第に苛々し始めた。そして最後の小節に行き着くや、乱暴に立ち上がり、院長屋に向かった。
「エルスナー教授、わたしには彼の思惑が理解でさません」
 テーブルの向こうを行ったり来たりしながら激しい口調で訴える助手の前で、エルスナーは問題のショパンの課題を見ていた。
「本来ならそれは零点です。彼が規則を無視していることは、一目瞭然です」
「さて、どうしたものかね……」
 エルスナーは教え子の作品に目を通すと、助手の方を見た。
「落第点をつけて、彼にケルビーニをもう一度初めから読み直せと言うか」
 彼はほほ笑んだ。しかし、助手は教授の冗談を解さなかった。
「それは無駄です」
 しごく真面目な口調で彼は言う。
「彼はなにもかもわかってやっているのですから。ただ従いたくないから従わない。それだけのことです。なぜ彼はいつでもこうも反抗的なのでしょうか」
「反抗的……?」
 エルスナーは思わず笑いをかみしめた。
「そうだな。音楽に関して言えば、彼は確かに頑固だな」
 エルスナーはテーブルの引き出しを開けると、そこからフレデリックが置いて行ったエコセーズの手稿を取り出し、彼に差し出した。
「これはショパンの最近の作品だ。見たまえ」
 真剣に楽譜に見入る助手の顔からは、みるみる血の気が引いて行った。
(・・・)


作者あとがきにかえてより

(・・・) ショパンが青春の日々を過ごした町、ワルシャワ。カジミェシ宮殿、喫茶店テリメナ、聖十字架教会等々、町のあちこちに点在するショパンゆかりの建物を見るにつけ、前途有望な青年ショパンの姿を想像せずにはいられない。だが、同時に心に浮かぶのは、彼や彼の友人たちが経験した、その後の波乱に満ちた人生についてである。いつだったか、ショパンの親友ヤン・マトウシンスキが亡命先のドイツで書いた一文を読んで、はっとさせられたことがある。
「先日、姉からの手紙で、私と弟の財産がロシア政府によって没収されたことを知りました。私たちは愛する祖国から永久に追放されたのです。・・・私はとても耐えられそうにありません」
 祖国を愛するがゆえに亡命を余儀なくされたポーランド人たち。彼らの歩んだ人生が、民族の悲劇を雄弁に物語っている。そして、そんな彼らを音楽で支えたショパンもまた、1830年にウィーンに向けて出発してから、二度とワルシャワを見ることはなかったのである。遠い異国の地で、彼はどんなに故郷のことを思い、なつかしい両親や親友との再会を夢見たことだろうか。(・・・)