ポーランドの国歌






「ポーランド国歌」着メロ 



Mazurek Dabrowskiego

 Jeszcze Polska nie zginela,
 Kiedy my zyjemy,
 Co nam obca przemoc wziela,
 Szabla odbierzemy.

   Marsz, marsz, Dabrowski,
   Z ziemi wloskiej do Polski!
   Za twoim przewodem,
   Zalaczym sie z narodem.

   Marsz, marsz, Dabrowski,
   Z ziemi wloskiej do Polski!
   Za twoim przewodem,
   Zalaczym sie z narodem.

 ポーランドは未だ滅びず
 我らが生きる限り
 外敵が力で奪い去りしものは
 剣をもて奪い返さん

   すすめ、すすめドンブロフスキ
   イタリアの地からポーランドへ
   汝の指揮のもと
   我ら、民衆と合流せん

   すすめ、すすめドンブロフスキ
   イタリアの地からポーランドへ
   汝の指揮のもと
   我ら、民衆と合流せん

(仮訳: 田口雅弘)

 古くは「神の母」(Bogurodzica)が民族の歌として歌われ、たとえばグルンヴァルドの戦い(1410年)などでも歌われていた。現在のポーランド国歌の原型は「在イタリアポーランド軍団の歌」(Piesn legionow polskich we Wloszech)で、1797年7月16-19日に、イタリアのレジョの町からポーランド軍団が出発するのを記念してユゼフ・ヴィビツキ(Jozef Wybicki)が作詞し、ポーランドの伝統的マズルカの曲を付けたものである。これは、ナポレオン軍のもとで編成されたドンブロフスキ将軍率いるポーランド軍の軍歌となり、「ドンブロフスキのマズルカ」(Mazurek Dabrowskiego)として急速にポーランド公国内にも広がった。そして、ナポレオン軍の進撃と共に、様々な政治的集会などで頻繁に歌われるようになった。

 11月蜂起(1830-31年)以降、宗主国のロシアとプロシアによって「ドンブロフスキのマズルカ」を民族の歌として歌うことが禁じられたが、この歌は海外のポーランド系移民によって歌いつがれ、アントニ・フェリンスキ(Antoni Felinski)の"Boze, cos Polske"、コルネル・ウイェイスキ(Kornel Ujejski)の "Choralem"、マリア・コノプニツカ(Maria Konopnicka)の"Rota"と共に、国歌としての地位を確立した。第一次世界大戦後、ポーランドが独立すると、「ドンブロフスキのマズルカ」は(非公式の)国歌(hymn narodowy)に定められた(1918年)。さらに、1926年には正式に国歌(hymn panstwowy)に制定された。第二次世界大戦後は、1948年に改めて国歌に制定され、社会主義時代も通じて現在まで国歌として歌われている。1980年に、グダンスクのレーニン造船所で、「連帯」運動の発端となった政労合意が締結されたとき、激しいやりとりを展開した政府側・労働者側の双方が一斉に立ち上がって国歌の大合唱をしたシーンは象徴的である。

 公式な国歌の歌詞は、「1980年1月31日付ポーランド人民共和国の国章、国旗、国歌に関する法律」によって制定されている。




公式の「ドンブロフスキのマズルカ」(Mazurek Dabrowskiego)






「在イタリアポーランド軍団の歌」(Piesn legionow polskich we Wloszech)