2015年度 フォーラム・ポーランド会議

 

《ポーランドとその隣人たち》 シリーズ第二回

Konferencja 2015: Polska i jej sąsiedzi (Cz.II)

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Picture: Masahiro Taguchi/2008

 

【日時】 20151212日(土) 10:0017:00

【会場】 青山学院アスタジオホール(渋谷区神宮前5-47) 

【主催】 NPO法人フォーラム・ポーランド組織委員会

【共催】 ポーランド広報文化センター  

    青山学院大学

【後援】 駐日ポーランド共和国大使館

 

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(参考)

2011年度会議 「《ポーランドとその隣人たち》 シリーズ第一回

 

【会議次第】

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開会の辞: ツィリル・コザチェフスキ (駐日ポーランド共和国大使)

 

はじめに: 吉岡 NPO法人フォーラム・ポーランド組織委員会)

 

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白石 和子 (しらいし かずこ)  外務省 女性・人権人道兼北極担当特命全権大使、 前駐リトアニア大使「リトアニアから見たリトアニア・ポーランド関係」

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井出 匠 (いで たくみ)  早稲田大学助手「 『スロヴァキア民族 národ 』をめぐる問題――歴史の書かれ方・語られ方」

 

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昼食

 

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沼野 充義 (ぬまの みつよし)  東京大学教授「<ロシア人は好きだがAロシアは好きじゃない>――ポーランドとその巨大な隣国とのねじれた関係について(文学の例に基づいて)」

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越野 剛 (こしの ごう) 北海道大学准教授「ベラルーシの中のポーランド—作家ヤン・バルシュチェフスキを中心に」

 

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ティータイム

 

 

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加藤 有子 (かとう ありこ)  名古屋外国語大学准教授「ガリツィアの文化的複層性――彫刻家ピンゼルを手がかりに」

 

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おわりに 田口 雅弘(NPO法人フォーラム・ポーランド組織員会)

 

閉会の辞: マルタ・カルシ(ポーランド広報文化センター副所長)

 

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総合司会: 吉岡 潤 (NPO法人 フォーラム・ポーランド組織委員会)

 

 

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《ポーランドとの隣人たち》 シリーズ第二回

 

ポーランドのかたち・あり方について、また《ポーランドと非ポーランド》の境界について、外部との重なりや他者の視点を重視した形で考えてみたい——こうした構想のもと、2011年度のフォーラム・ポーランド会議で「ポーランドとその隣人たち」というシリーズが始まりました。今年度はそのシリーズ第二回として、政治・外交、文化・文学、思想・美術、歴史・民族などの観点から、地域に関する現在の分類でいえばリトアニア、ベラルーシ、ウクライナ、スロヴァキア、そしてロシアとの関わりについてお話を伺います。

今回取り上げる国々や人々は、ポーランドと愛憎相半ばさせつつ歴史を濃密に共有してきたり、あるいはポーランド人と同じくスラヴ民族に属していたりと、ポーランドにとって歴史的・心理的に外部のようで外部でなく、また内部のようで内部でない、存在感のある隣人たちです。日本ではなじみのない、これらポーランドの東方の隣人たちをテーマとした5つの講演を聞きつつ、ふだんと違う角度からポーランドを眺めてみたいと思います。

 

 

講演者紹介と講演要旨

 

説明: C:UsersPCUserDownloadsH15SD-301A_CDR (1).jpg講演1 白石 和子(しらいし かずこ)氏  外務省 女性・人権人道兼北極担当特命全権大使、 前駐リトアニア大使

「リトアニアから見たリトアニア・ポーランド関係」

上智大学外国語学部ロシア語学科卒、1974年外務省入省後、ウッジ大学、ワルシャワ大学へ留学。1997年から2001年及び2007年から2011年ポーランド大使館勤務。2012年から2015年までリトアニア大使。現在、女性・人権人道兼北極大使。

ポーランドとリトアニアは、13861795年の長きにわたって同君連合、「連邦」(ポーランド語のRzeczpospolitaは、リトアニアでは、英語でCommonwealthと呼称)の連合国家であった。リトアニアから見た同君連合、連邦の意味及び戦間期のポーランドによるビリニュス占拠、1990年のリトアニア独立運動におけるポーランド少数民族の動きを背景としたリトアニア人の歴史観及びポーランド人観について、リトアニア在勤時に考えたことをお話しさせていただきたいと思います。

 

 講演2 井出 匠(いで たくみ) 早稲田大学助手

「 『スロヴァキア民族 národ 』をめぐる問題――歴史の書かれ方・語られ方」

2005年早稲田大学文学研究科修士課程修了、2014年コメニウス大学(スロヴァキア共和国・ブラチスラヴァ)大学院博士課程修了、20092011年日本学術振興会時別研究員(DC)、20122014年外務省在スロヴァキア大使館・専門調査員、2014年~現在、早稲田大学文学部助手。

1918年、第一次世界大戦に敗北したオーストリア=ハンガリー二重帝国が解体され、ポーランドやチェコスロヴァキアなど新たな「民族(国民)国家」がいくつも誕生しました。この出来事については、本来自立する権利を有している諸「民族」が、帝国の支配の下で長きにわたり抑圧された結果、起こるべくして起こったのだ、という説明がしばしばなされます。スロヴァキアの場合、ポーランドとは異なり、それまでに制度上の枠組み(王国)が存在しことはありませんでした。にもかかわらず、スロヴァキアの歴史学では、古くから存在した「スロヴァキア民族」が、ハンガリー王国の支配下で消滅の危機に瀕しながらも、民族主義運動によってこれに抵抗し、最後にはチェコと一緒になって自立を勝ち取った、という見方がなされてきまた。しかし、実際のところはどうだったのでしょうか。この辺りの事情について、考えていきたいと思っています。

 

説明: 説明: C:UsersPCUserDownloads沼野 顔写真2 (1).jpg講演3 沼野 充義(ぬまの みつよし)氏  東京大学教授

「<ロシア人は好きだが、ロシアは好きじゃない>――ポーランドとその巨大な隣国とのねじれた関係について(文学の例に基づいて)」

1954年生まれ。1977年東京大学卒、198185年フルブライト留学生としてハーバード大学に留学、スラヴ文学科大学院博士課程でロシア文学を専攻するが、スタニスワフ・バランチャクの薫陶も受ける。1987年~88年、ワルシャワ大学日本語科講師。現在、東京大学大学院人文社会系研究科・文学部教授(現代文芸論・スラヴ語スラヴ文学)。専門はロシア文学だが、ポーランド文学をロシア文学以上に愛し、翻訳も手掛ける。ポーランド語からの翻訳に、スタニスワフ・レム『ソラリス』、ヴィスワヴァ・シンボルスカ『終わりと始まり』、イグナツィ・クラシツキ『ミコワイ・ドシフィヤトチンスキの冒険』など。

ポーランドとロシアは、相変わらず非常に複雑な関係にある。言葉もスラヴ系どうし、かなり近い言語ではあるが、だからと言って互いに簡単に理解しあえるというものではない。ここでは主に文学の領域に視野を絞ったうえで、近くて遠く、親しくもあり疎遠でもある複雑な両者の関係について見てみたい。ロシアの国民詩人プーシキンとポーランドの国民詩人ミツキェヴィッチの確執、ドストエフスキーとポーランド人、チェスワフ・ミウォシュやアンジェイ・ワイダとロシア文学、社会主義時代のポーランドにおいてロシア・ソ連文学通として知られていたヴィクトル・ヴォロシルスキやアンジェイ・ドラヴィッチ、そしてソ連の映画監督タルコフスキーとポーランドのSF作家スタニスワフ・レムの<喧嘩>などの例を取り上げる予定。(なおトークのタイトルはミウォシュの言葉である。)

 

説明: 説明: C:UsersPCUserDownloadskoshino picture (1).jpg講演4 越野 剛(こしの ごう)氏  北海道大学准教授

「ベラルーシの中のポーランド作家ヤン・バルシュチェフスキを中心に」

北海道大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。20012003年在ベラルーシ日本大使館専門調査員。 20052008年日本学術振興会特別研究員(PD)、テーマは「チェルノブイリ原発事故とベラルーシ・ロシア・ウクライナにおける原子力の表象の歴史」。 2009年より北海道大学スラブ研究センター特任研究員、同助教、2013年より同准教授。

ベラルーシはポーランド文化の強い影響下におかれた時代があり、ポーランド語で書かれた多くの文学作品が残されています。ヤン・バルシュチェフスキ(1790/941851年)もその一人で、ベラルーシの伝説やフォークロアをもとにした作品をポーランド語で書きました。ポーランド本国では忘れられた存在ですが、ベラルーシではむしろ自国の作家としてよく知られています。本報告ではバルシュチェフスキとその作品を中心にして、ベラルーシとポーランドの関係を考察します。

 

説明: 説明: C:UsersPCUserDownloadsKato (3).jpg講演5 加藤 有子(かとう ありこ)氏  名古屋外国語大学准教授

「ガリツィアの文化的複層性――彫刻家ピンゼルを手がかりに」

東京大学文学部美学芸術学専修課程卒業、同大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コース修了。博士(学術)。200001年、200406年ワルシャワ大学留学、200608年ヤギェロン大学留学。日本学術振興会特別研究員PD、東京大学文学部現代文芸論助教を経て現職。ポーランド文学・文化、表象文化論。研究テーマは、両大戦間期ポーランド文学(ブルーノ・シュルツ、ブルーノ・ヤシェンスキ、未来派、fボラ・フォーゲルなど)、ガリツィアのモダニズム、旧ガリツィアにおけるユダヤ文化遺産とその言説、ポーランドにおけるホロコースト表象の系譜のジャンル横断的研究。主著に『ブルーノ・シュルツ―目から手へ』(水声社、2012年)、『ブルーノ・シュルツの世界』(編・共著、成文社、2013年)、『ユーラシア世界 2ディアスポラ論』(共著、東京大学出版会、2012年)、(Un) Masking Bruno Schulz (共著、NY&Amsterdam, 2009)。翻訳にボリス・ヴォズニツキ『ピンゼル』(未知谷、2011年)、ゾフィア・ナウコフスカ『メダリオン』(松籟社、近刊)など。

ポーランドの東部国境に接する現在のウクライナの西部国境地帯は、ポーランド、オーストリア、ソ連、ナチス・ドイツ、ソ連、ウクライナとこれまで支配国をめまぐるしく変えた。ポーランド領時代が長く、ポーランドの文化的影響が濃い地域である。オーストリア時代にガリツィアと名づけられ、その名称でも知られる。ここは中東欧の例にもれず、第二次世界大戦まではユダヤ人も多く住む文化混交的な地域でもあった。第二次世界大戦後にソ連、ウクライナ領となってから、かつての多文化的状況は現地で忘却されつつあったが、2000年代半ばから戦前の文化状況を記念する動きが目立つ。本発表では、リヴィウを中心とする同地域におけるユダヤ文化を含めた戦前の文化遺産の保存の動きを概観する。そのうえで、18世紀のガリツィア地域の彫刻家ピンゼルを紹介し、現在の国境線や民族という枠を越えて広がる一帯の文化的系譜の広がりと複層性をみていきたい。

 

 

会場へのアクセス

青山学院アスタジオホール(渋谷区神宮前5-47) http://www.aogaku-astudio.com/

 

 

東京メトロ銀座線・半蔵門線・千代田線表参道駅B2出口より徒歩5

表参道駅より渋谷方向へ。無印良品を右折、直進し左手。