2016年度フォーラム・ポーランド会議
キリスト教ヨーロッパにおけるポーランドの1050年
Picture:
© Masahiro
Taguchi 2011
(クラクフ・マリア教会の祭壇・撮影許可取得済み 田口雅弘)
【日時】 2016年12月10日(土) 10:00〜17:00
【会場】 青山学院アスタジオホール(渋谷区神宮前5-47) http://www.aogaku-astudio.com/
【主催】 NPO法人フォーラム・ポーランド組織委員会
【共催】 ポーランド広報文化センター 青山学院大学
【後援】 駐日ポーランド共和国大使館
2016年度フォーラム・ポーランド会議 キリスト教ヨーロッパにおけるポーランドの1050年
総合司会
白木 太一 (NPO法人 フォーラム・ポーランド組織委員会、大正大学教授) |
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10:00-10:20 |
開会の辞: ピョートル・ショスタク駐日ポーランド共和国代理大使 |
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はじめに: 白木
太一(NPO法人フォーラム・ポーランド組織委員会) |
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10:20-10:50 |
PDFパネル上映(グニェズノ国家発祥博物館他作成、NPO法人フォーラム・ポーランド組織委員会編集)「966年の洗礼 ポーランドの起源について」 |
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10:50-11:00 |
ポーランド民族舞踊団「シロンスク」によるポーランド歌謡演奏(Joanna Cierniak, Piotr
Nikiel、曲目:「ドンブロフスキのマズルカ」、「神の母」ほか) |
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11:10-11:55 |
梶
さやか (かじ
さやか) 岩手大学人文社会科学部准教授 「国歌と賛歌でたどるポーランド史」 |
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11:55-13:15 |
昼食 |
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13:15-14:00 |
荒木
勝 (あらき まさる)
岡山大学理事・副学長「ポーランド年代記からみるキリスト教改宗の意味」 |
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14:10-14:55 |
金沢 文緒(かなざわ ふみお) 岩手大学教育学部准教授「イタリア人画家カナレットの見たワルシャワ ―18世紀ポーランドの宮廷美術との関わり」 |
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14:55-15:25 |
ティータイム |
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15:25-16:10 |
ドロタ・ハワサ
ジャーナリスト 「ワールドユースデイー ポーランド洗礼の遺産」 |
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16:20-16:50 |
NPO法人フォーラム・ポーランド組織委員(白木、吉岡、関口ほか)「マテイコの描いたポーランド史」 |
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16:50-17:00 |
おわりに:
田口 雅弘(NPO法人フォーラム・ポーランド組織委員会副代表) |
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閉会の辞: ミロスワフ・ブワシチャック (ポーランド広報文化センター所長) |
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≪キリスト教ヨーロッパにおけるポーランドの1050年≫
966年のミェシュコのキリスト教洗礼1050周年に因んで、本年のテーマは「キリスト教ヨーロッパにおけるポーランドの1050年」です。ポーランド民族がミェシュコの洗礼以来、キリスト教やヨーロッパ文明とどのようにかかわって来たかを共通テーマとして、前後のPDF・スライド上映を挟んで、中世、近世、近代、現代の歴史・美術・文化を専門とする4名の方(荒木勝氏(中世史)、金沢文緒氏(近世美術史)、梶さやか氏(近代史)、ドロタ・ハワサ氏(ジャーナリスト))に講演していただきます(事情により講演の順番は前後します)。多彩な講演を聴きながら、1000年を越える長いスパンの中でのポーランドの歴史・文化の立ち位置を確認し、議論してみましょう。
講演者紹介と講演要旨
プロローグ パネル上映「966年の洗礼 ポーランドの起源について」 (グニェズノ国家発祥博物館他作成、NPO法人フォーラム・ポーランド組織委員会編)
本日の共通テーマ、「キリスト教ヨーロッパにおけるポーランドの1050年」を理解する前提として、966年のミェシュコの洗礼に関する最小限の情報を共有しておきたい。このコーナーでは、グニェズノ国家発祥博物館他が作成したPDFファイルの一部を抄訳し紹介する予定である。一連のパネル上映を通じて、洗礼の背景、洗礼の性格、そして洗礼後の中世後期ポーランドにおけるローマ教会の組織拡大を中心とする洗礼前後の出来事の経緯をたどり、その歴史的意義を考えてみたい。
講演1 梶 さやか(かじ さやか)氏 岩手大学人文社会科学部准教授 「国歌と賛歌でたどるポーランド史」
岩手大学人文社会科学部准教授。専門はポーランド・リトアニア・ベラルーシ地域の近代史。2000年京都大学文学部卒業。2002年京都大学大学院文学研究科修士課程修了。2004〜07年ワルシャワ大学法行政学部留学。2011年京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了、博士(文学)。2011〜13年日本学術振興会特別研究員(PD)。2013年4月〜現職。
国民的・民族的に歌い継がれた歌を通じて、近代を中心とするポーランドの歴史をたどる。ポーランドでは中世にポーランド語のカトリックの賛歌「神の母」が誕生し、グルンヴァルトの戦いなどヤギェウォ朝ポーランドの重要な戦いで歌われた。近世後半の啓蒙改革期ならびに同時並行で起きた分割勢力との軍事衝突の時代においては、宗教的あるいは王朝的な賛歌に代わって世俗的で身分横断的な歌謡が登場する。その流れを受け継いだのが分割直後にできた「在イタリア・ポーランド軍団の歌」、すなわち現国歌「ドンブロフスキのマズレク(マズルカ)」であった。「ポーランド未だ滅びず」から始まるこの歌は分割時代の最も重要なモットーの一つとなったほか、固有名詞を変えて他の民族のナショナリズムにも大いに影響を与えた。同歌は、カトリック的色彩の強い「神よ、ポーランドを」などとともに、分割時代と両次の世界大戦、社会主義時代を経て現在に至るまで愛唱されることとなる。
講演2 荒木 勝 (あらき まさる)氏 岡山大学理事・副学長 「ポーランド年代記からみるキリスト教改宗の意味」
1973年、名古屋大学法学部卒。岡山大学法学部助教授、同教授を経て、2004年より岡山大学大学院社会文化科学研究科教授。2011年より岡山大学理事・副学長。1982〜1984年に在外研究でポーランド科学アカデミー客員研究員。学術博士PhD。専門は、アリストテレスを中心とした政治学、ポーランド年代記研究。著書に『アリストテレス政治哲学の重層性』(創文社、2011)。翻訳・解説に『匿名のガル年代記 中世ポーランドの年代記』(麻生出版、2015年)など。
ポーランドがキリスト教に改宗した年に、ポーランド国家が建設された、というのが、ポーランドの歴史の通説であるが、『匿名のガル年代記』は、この説をポーランド史上最初に宣言した歴史文書である。
今回のフォーラム・ポーランド会議では、『匿名のガル年代記』の冒頭を飾る、ミェシコのキリスト教改宗を記述する部分に光を当て、ポーランド国家建設の意義、ポーランド・キ�潟Xト教が背負った宿命、ポ�[ランドとドイツ、ロシアとの国際関係について述べてみたい。
またポーランド国家が建設された時から、ポーランド人が国家を、レース・プブリカ、ポーランド語でジェチ・ポスポリータ(共通のもの)と呼んできたことも紹介したい。
講演3 金沢 文緒(かなざわ ふみお)氏 岩手大学教育学部准教授 「イタリア人画家カナレットの見たワルシャワ―18世紀ポーランドの宮廷美術との関わり」
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程、日本学術振興会特別研究員(DC、PD)を経て、岩手大学准教授(美術史)。2000〜01年ワルシャワ大学留学、2006〜07年イタリア政府給費留学生としてパドヴァ大学留学。専門は西洋美術史。ヨーロッパ社会における風景画の成立、18世紀ドレスデンにおけるイタリア絵画受容、芸術家のヨーロッパ内移動など、地域横断的な研究に取り組んでいる。主な著書に『美術と都市―アカデミー・サロン・コレクション』(2014)、『絵画と表象―ガブリエル・デストレからユベール・ロベールへ』(2015)、『視覚のイコノグラフィア―〈トロンプ・ルイユ〉・横たわる美女・闇の発見』(2015)(いずれも共著)。また『ポーランドの至宝―レンブラントと珠玉の王室コレクション』(展覧会カタログ、2010)の翻訳を担当。
18世紀のイタリア人画家ベルナルド・ベロット(通称カナレット)の描いたワルシャワ景観画は、第二次世界大戦で壊滅したこの都市を復旧する際に、戦前の様子を伝える視覚的資料として多大な貢献を果たしたことで知られています。カナレットは18世紀の二人のポーランド王、アウグスト3世とスタニスワフ・アウグストの宮廷画家をつとめ、実に30年にわたりポーランドとの関わりを持ちました。本報告では、カナレット作品の分析を通して、ザクセン=ポーランド同君連合期における美術政策の役割、政治的プロパガンダとしての景観画、ポーランドと西欧の美術交流といった問題について考察したいと思います。
講演4 ドロタ・ハワサ氏 ジャーナリスト 「ワールドユースデイー ポーランド洗礼の遺産」
1989年 ワルシャワ大学日本学科修士課程修了。
1990-1995年 西武百貨店本部販売促進部、同社池袋店販売促進部に勤務。
1995年 西武百貨店を退職しジャーナリストに。日本語で取材した情報を、ポーランドの各種メディアで報道。日本及び東アジアの政治、経済、社会、文化が主な取材テーマ。ポーランド通信社、BBC国際ラジオ・ポーランド局、Rzeczpospolita(共和国新聞)紙、ポーランド・ラジオなどが主要な情報発信メディアである。
2009年イタリア放送協会主催の国際番組コンクールにポーランド人女性作曲家ボンダジェフスカを取り上げたドキュメンタリー番組を出品。 最高賞「イタリア賞」受賞。
その他著作など
ポーランド語でŻycie
codzienne w Tokio(「東京の日常生活」、2003年刊) 執筆。2016年11月末ポーランドで „Chrystus w kraju samurajów”「サムライの国のキリスト」を出版予定。
ヨーロッパ文明はギリシア哲学、ローマ法、キリスト教の教えの三要素を土台にして形作られました。その三要素を理解しなければ、ヨーロッパやポーランドなどの文化を理解することはできません。
ポーランドがキリスト教化されてから1050年がたちました。今年、7月26日から31日まで、ワールドユースデイがポーランドの古都クラクフで開催されました。この催しは、1984年ローマ・カトリック教会の最高位聖職者である教皇、ポーランド出身のヨハネ・パウロ二世の提唱で始まりました。今回はテロのリスクへの警告が発せられたにもかかわらず、世界各地から青年カトリック信者が200万人も集まりました。
国連が1985年に「国際青年年」を定める前年に、ヨハネ・パウロ二世の呼びかけによってローマで開催された第一回青年カトリック信者年次集会に30万人の若者が参加しました。
1995年には最高500万人がマニラに集まりました。今年の集会のテーマは、聖書のマタイによる福音の言葉で:「あわれみ深い人々は、幸いである、その人たちはあわれみを受ける」(マタイ5・7)でした。世の中が混乱する中、ポーランドのカトリック教会が若者にアピールすることは何でしょうか?講演ではこの点についてお話したいと思います。
エピローグ フォーラム・ポーランド組織委員(白木、吉岡、関口ほか) 「マテイコの描いたポーランド史」
ヤン・マテイコ(Jan Matejko、1838クラクフ生〜1893クラクフ没)は、ポーランド史上もっとも有名な画家。1852〜58年の間クラクフ美術学校に学ぶ。1858年ミュンヘン留学。1873〜1893年クラクフ美術学校校長。写実的な歴史画大作で知られるが、同時にS.ヴィスピャンスキ、J.メホフェル、J.マルチェフスキなど、次に来るモダニストの世代「若きポーランド」を代表する画家たちを育てた優れた教育者でもあった。
「一民族の想像力に、一人の画家がこれだけの影響を与えたということは、恐らくヨーロッパ美術に前例のないことだったに違いない」(T.
Dobrowolski) ロマン主義の預言者詩人たちの後を継ぎ、マテイコは空位期ポーランドの王を代理する者となり、民族を導く者となった。〔…〕画家の死後百年余りを経た今日、私たちはしかるべき客観性をもって彼の描いた大歴史パノラマを眺めることができる。マテイコは偉大な、否、わが国の絵画史上最も偉大な画家だった。その構図や画法にあれこれの欠陥はあるとしても、その絵によって――道標によって、私たちの歴史観をここまで形づくることができたのだから」(T.
Chrzanowski)――と語られるマテイコの絵画をスライドで紹介しながら、フォーラム委員のコメントを交え、ポーランドの歴史をふりかえります。
紹介予定作品――連作「ポーランド文明史」、連作「ポーランドの歴代君主一覧」、「グルンヴァルトの合戦」、「ルブリン合同」、「コペルニクス、あるいは神との対話」、「プロイセンの臣従」、「スタンチク」、「プスコフのステファン・バトーリ王」、「スカルガの説教」、「ウィーンのヤン・ソビェスキ王」、「レイタン。ポーランドの滅亡」、「ラツワヴィーツェのコシチューシュコ」、「1791年五月三日憲法」、「ポロニア。1863年」など。