2017年度 フォーラム・ポーランド会議
《第二共和制ポーランドの藝術的風景》
Katarzyna Kobro Konstrukcja wisząca,
1921-1922 |
【日時】 2017年12月10日(日)10:00-16:30
【会場】 青山学院アスタジオホール(渋谷区神宮前5-47)
【主催】
NPO法人フォーラム・ポーランド組織委員会
【共催】 ポーランド広報文化センター
【後援】 駐日ポーランド共和国大使館
司会 |
平岩理恵氏(NPOフォーラム・ポーランド組織委員会事務局長) |
10:00-10:30 |
開会の挨拶 開会の挨拶 マウゴジャタ・ヴィェジェイスカ(Małgorzata Wierzejska) |
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ポーランド共和国外務省広報・文化局長 ミロスワフ・ブワシュチャク(Mirosław Błaszczak) |
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ポーランド広報文化センター長開会の挨拶 関口時正氏(東京外国語大学名誉教授) |
10:30-11:30 |
下田幸二(しもだ こうじ)講演「両大戦間期ポーランドのピアニストとショパン国際コンクール」 |
11:30-12:30 |
松方路子(まつかた みちこ)講演「第二共和国における印刷美術」 |
12:30-13:30 |
昼食 |
13:30-14:30 |
重川真紀(しげかわ まき)講演「カロル・シマノフスキの原始主義――シチリアからポトハレへ」 |
14:30-15:30 |
田中壮泰(たなか もりやす)講演「ユリアン・トゥヴィムという現象」 |
15:30-16:30 |
スライド・プレゼンテーション フォーラム・ポーランド組織委(加須屋明子、関口時正)「ポーランド・アヴァンギャルド美術の100年」 |
16:30 |
閉会の挨拶 田口雅弘(岡山大学大学院社会文化科学研究科教授) |
講演者紹介と講演要旨
100年前、長い三国分割時代を脱け出し、ポーランドが再び国家としての主権を獲得しようとする情勢が到来しつつありました。今回のフォーラムは、その国家再興前夜を思い出しながら、1918年から1939年というわずか20年ながら、世界的な経済・政治の危機を背景に、取り戻した自由を謳歌し、眩しいほどの爆発的な輝きを放った「第二共和国」の藝術に焦点をあてて、皆さんと語り合いたいと思います。今年お話をしていただくのは、皆さんポーランドに留学され、帰国後もつねにポーランドと関わるお仕事を続けていらっしゃる方々です。
講演1 下田 幸二(しもだ こうじ)
「両大戦間期ポーランドのピアニストとショパン国際コンクール」
桐朋学園音楽部門、フェリス女学院大学、相愛大学各講師。武蔵野音楽大学卒業。ポーランド国立ワルシャワ・ショパン音楽院研究科修了。研究者としてショパンやポーランド音楽の分野で信頼が篤い。指導者としても高い定評があり、多くの優秀なピアニストを輩出している。現在、「レコード芸術」(音楽之友社)にて 《下田幸二のピアノ名曲解体新書》を好評連載中。著書に「ショパン
その正しい演奏法」(ヤマハミュージックメディア)、「ショパン全曲解説」(ハンナ)、「ショパンの本」(共著・音楽之友社)などがある。
両大戦期間で活躍したポーランドのピアニストですが、まずそれはそのまま1927年第1回ショパン国際ピアノ・コンクールの審査員の名にあてはめることができます。創設者のJ.ジュラヴレフ、名教師でもあったZ.ジェヴィエツキ、パデレフスキ版の校訂者としても名を残すJ.トゥルチンスキ、A.ミハウォフスキ等が審査員に名を連ねます。そして、1937年第3回までの同コンクールからはR.エトキン、H.シュトンプカ、W.マウツジンスキなどのポーランド人ピアニストが生まれ活躍を始めます。一方で国外を拠点としている人々、A.ルービンシュタイン、J.ホフマン、R.コチャルスキ、M.ローゼンタールといった人々もポーランドを訪れました。さらに、忘れていけない名前にI.J.パデレフスキがいますが、彼が両大戦間でポーランド音楽界に果たした役割とは何だったのでしょう。1918年から1839年のポーランドの音楽界とピアニストの活動を俯瞰し、ピアノにおける「ポーランド楽派」とは何かを考えます。
講演2 松方 路子(まつかた みちこ)
「第二共和国における印刷美術」
上智大学文学部卒。1998年~2000年ポーランド政府奨学金にてヤギエウォ大学へ留学、2002年卒業。(MA) テーマは「クラクフ日本美術技術センターにおける教育普及活動」。2003年より安曇野ちひろ美術館に勤務。担当展示に「ノルシュティンの絵本づくり展」「ポーランドの絵本画家たち展」「ブラジルからやってきた!色彩の画家 ホジェル・メロ展」など。共訳書に『ブルムカの日記』(石風社、2012)。
第二次世界大戦以降のポーランドのポスターやイラストレーションなどのグラフィックアートについては展示や出版を通して比較的知られてきていますが、第二共和国時代の印刷美術については、まだそれほどとりあげられることがありません。絵画のような一点ものではなく、刷って広められることを前提につくられた印刷物は、独自の特質をもっています。出版と美術を中心に、まだ私にとっても未知なるこの時期のポーランドの印刷美術について、他国との比較も交えてお伝えできればと思います。
講演3 重川 真紀(しげかわ まき)
「カロル・シマノフスキの原始主義――シチリアからポトハレへ」
大阪大学大学院文学研究科文化表現論専攻博士後期課程修了。博士(文学)。2007~09年ポーランド政府給費生としてワルシャワ大学に留学。専門は音楽学。研究テーマは19、20世紀のポーランド音楽史、特にカロル・シマノフスキ研究。主な論文に「シマノフスキの舞台芸術論とオペラ《ルッジェロ王》」、(『アリーナ』(2013)第16号)、「シマノフスキにとっての原始主義――ストラヴィンスキーとの関わりから」、(『民族藝術』(2017)第33号)、訳書に『ショパン全書簡1816-1831 ポーランド時代』(共訳・岩波書店)、解説に『カルウォーヴィチ歌曲集』(共編・ハンナ)がある。2017年10月より大阪大学招へい研究員。
第一次大戦終結を機に独立を果たしたポーランドでは、改めて「民族様式」の問題が取り上げられ、音楽の分野でもどのような民俗的素材の中に「民族性/ポーランド性」を認めるかという議論がさかんになされました。1920年代のポーランドにおける音楽のナショナリズムを考えるとき、画期的な意味を持つ存在がカロル・シマノフスキです。古代ギリシア、イスラム、ビザンチンといった様々な古層文化から作品の素材を得てきたシマノフスキは、第一次大戦後に自国のグラレ(山人)音楽に目覚めます。しかし、彼の考えるポーランド音楽とは、単に土着の民族文化のみならず、ヘレニズム文化や中世の音楽文化などともつながりを持つものでした。本発表では、オペラ《ルッジェロ王》や歌曲集《スウォピェヴニェ》など、1920年代初頭に書かれたシマノフスキの作品をいくつか挙げながら、民族性やフォークロアに対するシマノフスキ独自の解釈を、彼自身の体験および同時代の潮流(ストラヴィンスキー、バルトーク)との関係から捉えてみたいと思います。
講演4 田中 壮泰(たなか もりやす)
「ユリアン・トゥヴィムという現象」
日本学術振興界特別研究員(PD)。立命館大学大学院先端総合学術研究科単位取得退学。2006〜08年ヤギェロン大学留学。2014年から立命館大学非常勤講師。専門は戦間期ポーランド文学だが、博士論文では戦間期にポーランド語やイディッシュ語で書いたユダヤ系作家の複数言語使用に注目し、現在は土地と人との関係に興味があり、故郷喪失者の経験などに注目して、ポーランド東部国境地帯の文学を研究している。
1894年にウッチに生まれ、戦間期にワルシャワで活躍したユダヤ系ポーランド語詩人ユリアン・トゥヴィムは、ポーランドでもっとも人気のある詩人のひとりである。子ども向けの詩や絵本でも知られ、カバレットの歌や戯曲などでも才能を示した。勤勉家でもあり、ポーランドの古典詩に関する博識ぶりは他の追随を許さなかった。ナチス侵攻後にパリを経由して、リオデジャネイロとニューヨークで亡命生活を送り、その亡命先で長詩『ポーランドの花束』(1949年)を書き上げるに至るのだが、ここでは亡命に至るまでのトゥヴィムに的を絞って、前衛詩グループ「スカマンデル」のリーダーとして、戦間期のポーランドで八面六臂の活躍を続けたトゥヴィムを、ひとつの社会現象として捉え、トゥヴィムという現象はいったい何だったのかを考えてみたい。